lost in translation

「雨の日だより」で映画『ロスト・イン・トランスレーション』を扱って以来、「lost in translation」という言葉が時おり頭をよぎるようになった。翻訳する際に、微妙なニュアンスが損なわれてしまうといった意味。これは翻訳に限らず、言語を用いるいたるところで起こっているのではないか。

今日昼間に虹を見たんだけどものすごくきれいだったよ、と言っても、どのようにきれいだったのか伝わらない。同じものを見てもきれいと思うかどうかはひとそれぞれ。結局、言語を使って全員が同じ世界、同じ風景を見ることは不可能で、いろいろなニュアンスを取りこぼしながらやりとりをするしかない。

いわゆる「作品」を作っているひとに説明を求めたときに、「言葉で言えるくらいなら作品を作ってないと思う」と返される、ということは多々ある。そう言ってしまう気持ちはわかる。その意見も確かに正しい。でもそれと同時に、自分の作品について説明できないのはどうなのか、とも思うようになった。「こういうことを考えながら作った」とか「こういう出来事が作品づくりの発端となった」とか、そのくらいは言えるはずで、それさえも放棄してしまうのはどうなのか。lostするのが怖いからtranslationをしませんと言っているように感じる。

lost in translationであることを受け入れながら、それでも自分の言葉を尽くしてやっていくしかないんじゃないか。作品をつくったんでそれ見てくださいって、その作品がそこまで万能か? とまで言うとただの悪口だけど。作品をつくった後で、それでも言葉を尽くすことの方が尊いんじゃないか?

最近、作品を発表したあとでそれを何度も宣伝するひとの見方が変わってきた。たくさん売れてお金がたくさんほしいというよりも、純粋にまず作品に触れてほしいと思ってることがわかってきたからだ。結局それが「売れてほしい」ということにもつながるんだけど。軽い気持ちかどうかくらい、宣伝の仕方ですぐにわかる。軽い気持ちじゃないことくらい、作品に触れればわかる。受け手の翻訳の仕方に多少のニュアンスの取りこぼしがあろうと、ほんとうに大事なことはちゃんと伝わる。いいものを作って、それをさらに言葉で届けようとしているひとは、lost in translation程度のことになんかビビってない。その態度を信じる。

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  • 発売日: 2004/12/03
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