いかれた慕情

僕のマリさんの『いかれた慕情』を読んだ。

読み終えて、ああ、もう俺全然本気で生きてないな、ということに気付いた。たぶんもう本気の出し方も忘れてる。本気出さなくてもやっていける実力がついて、生きていくのが楽になった。本気じゃないとやっていけなかった時代はとっくに過ぎてる。

僕と、僕のマリさんとはおそらく10くらい年齢が離れている。このひとは10年後も本気で生きてるだろうか。本気で生きてるといいな。俺はもう無理だったから。ひとつひとつ諦めてきたから。でも諦めるって全然悪いことじゃなくて、めちゃくちゃ肩の力抜けて、たのしいんだよね。「身を焦がすような恋」とか「会社の存続をかけた逆転劇」とかなくても、昨日と似たような今日を過ごしたとしても、そのおもしろがり方がわかってきたんだよね。6年くらい前に妻と出会って、妻とねこと穏やかに暮らすだけで、すっごい満足。こないだ無印でポリプロピレンの収納ケース買ったのが届いて、冬服しまったんだけど、もうそういうので大満足。何者かになりたかったこともあったけど、いまはもういいかな。いまのこの穏やか〜〜な生活がめちゃくちゃ気に入ってて、ずーっと続いてほしい。以前じゃ考えられなかったけど、長生きもしたくなった。こういう生活が続けられるなら、1秒でも長く生きていたい。

みたいなことを本気で思う大人になっていたことに気付いた。この本を読んで、そういうことに自覚できたのがよかった。人生が5つくらい並行してやっていけるんだったら、そのうちのひとつくらいはしのぎを削って生きる世界に身を置くのもやってみたいけど、ひとつしか選べないもんね。なんかそんな並行世界の、10くらい若い、性別も違う自分が、そっちでがんばってんだねっていう気持ちになった。不思議な感じ。