契れないひと

近所の公園に、朝、宗教のひとたちが立っている。女性2人組で、経典のようなものを読みながら、図を書いて解説している。真剣に聞いていないので教義はよくわからないけど、聞こえてくる単語が「堕落人間」とか「神」とか「真理」とかで、トバしてんなあと思う。中でも圧倒的に「堕落人間」の数が多い。

最近、聖書なのかなんなのかわからないけど、23人組でそういうのを配っているひとをよく見かけるようになった。福岡だけの特徴なのか、全国的にそうなのかよくわからない。何教かも知らない。ただ、クソ暑い夏だったりクソ寒い冬だったりに、彼らが路上でずっと何かを広めようとしている姿を見るにつけ、「あんたらの神様ヒドいな」と思う。

修行の一環なのだろうか。ノルマみたいなのがあるのだろうか。信者を増やすと得られる善行ポイントみたいなのがあるのだろうか。なにもなくて、本心で、善かれと思ってやっているのだろうか。それに引っかかるひとがいるのだろうか。「今日も誰も引っかかりませんでしたぁ……」と言って、教団から「コラー!」とか言われるのだろうか。

たかたけしさんの『契れないひと』を読んだ。あのたかさんが、漫画の連載をするというのに驚いた。あと、たかさんの「たか」が名前じゃなくて苗字の方だったことにも驚いた(むしろこっちの方が驚いた)。以前ブログなどにアップされた漫画をいくつか読んだことがあったのだけど、僕はどちらかというとたかさんの漫画よりも文章の方が好きだった。たかさんの文章には、ユーモアと哀愁とやさしさと強さがある。漫画だと、せっかくのユーモアと哀愁とやさしさと強さがどこか薄まってしまうような感じがした(これは力量とかそういうのではなくて、媒体の性質の違いによるものです)。文章と同じくらいのユーモアと哀愁とやさしさと強さを感じたければ、かなりのページ数が必要になる。

『契れないひと』でそれが叶った。たかさんが過去実際に経験されたという訪問販売をモチーフにしたこの漫画は、契約が1件も取れない野口舞子という女性が主人公。契約が取れず、上司に怒られたり慰められたりしながら、日々がんばっている。ある種のたくましさを身につけながら、断られたり断られたり契約が取れたりやっぱり断られたりする。

たかさんの絵は喜怒哀楽の「怒」や「哀」の表現がかなり独特で、どうやって生きてたらこういう表現ができるようになるのかと思う。ひとに殺意を覚えたとき、苦しんでいるとき、怒られているとき、みな、顔が蓮コラみたいになる。顔が蓮コラみたいになることある? 喜も怒も哀も楽も、メーターがかなり振り切れている(喜や楽はそんなに多くないですが……)。ここまで振り切れていると全く自分事のようには思えなくて、完全にフィクションとして、娯楽として読んでしまう。ここに、たかさんのやさしさを感じる。

ダメだったり怒られてばかりだったりする人生を全く否定しないどころか、肯定してくれるような気になる漫画なんだけど、ギャグです、笑ってやってくださいという体が強いので、押し付けがましさがない。笑ったりキモいなーと思ったりしながらも、なんか知らんけどいつの間にか野口舞子にグッときている。僕はそういうやさしいユーモアにめちゃめちゃ弱い。ギャグと見せかけてめちゃくちゃやさしい漫画だ。

5巻くらいで野口舞子はどうなってるんだろう、と思う。契約はどれくらい取れてるんだろうか。相変わらず怒られてばかりなんだろうか。怒られてばかりなんだろうな。それでも、1巻と違うところに確実にいるんだろうな。野口舞子がどうなっていくのかが見たい。できるだけ長く続いてほしい。なんならドラマ化されてほしい。

近所の公園に立つあのひとたちにも、経典じゃなくて『契れないひと』を読んでほしい。「堕落人間」みたいな言葉で簡単に片付けないでほしい。神とか真理とかを求めるんじゃなくて、苦しくてもつらくてもみにくくても、生活をやっていってほしい。現実から逃げてない漫画の方が、経典よりもよっぽど学びがあるんじゃないか?

契れないひと(1) (ヤンマガKCスペシャル)

契れないひと(1) (ヤンマガKCスペシャル)