積読こそが完全な読書術である

現代社会はすでに「積読環境」である、としたうえで、本との付き合い方について書かれたもの。タイトルでかなり期待していたのだけど、結論から言うと近年稀に見る大ハズレだった。

「繰り返しますが」や「先に述べた通り」という前置きが多用され、同じことが言い方を変えて平均34回書かれるので、読むのにかなりのストレスがあった。繰り返さなければ本書の厚さは3分の1くらいで済んだと思う。本文中に出てくる表現を借りるなら、この本自体が「契約どおりの出版点数をクリアするために通された企画に基づいて書かれただけ」なのでは、と思ってしまった。編集の手が入らなかったのだろうか。

第一章は「他律的積読環境のなかに、自律的な積読環境を作る」という提案こそあるものの、話はここからまったく前に進まない。読まなくても問題ない章だと思う。

第二章はバイヤールの『読んでいない本について堂々と語る方法』から引いた内容が多く、おもしろくなってはきたのだけど、それでも「じゃあバイヤールの本読めば済むな」という章だった。この章のタイトルは「積読こそが読書である」なのだけど、別にそういう話は出てこない。

第三章からようやくタイトルに応じた話になってくるのだけど、そこに至るまでに111ページかかっている。きびしい。このあたりから「Evernoteを活用しよう」みたいな小手先のテクニック的な話も出てくるのだけど、それより先に「積読こそが完全な読書術である話をせんかい」と思ってしまった。

第四章は、最近気になっていたダニエル・カールマンの『ファスト&スロー』から「ファスト思考(システム1)」「スロー思考(システム2)」というシステムを持ち出してくるのだけど、なぜそれをわざわざ持ち出したのかは不明。第一章を言葉を変えて再掲しているような章だった。

趣旨としては、内容を完璧に把握して、しかも記憶し続けられるような「完全な読書」なんてできないんだから諦めろ、「不完全な読書」の程度を決めろ、その手始めとして気になった本を積極的に手元に集めろ、積読で構わん、それこそが現代の読書術なのだという話。この一文が、200ページに伸ばして書かれている。趣旨はおもしろいと思うけれども、ストレスの方が勝った。

「不完全な読書」の精度を上げるための読書の方法もいくつか触れられているのだけど、全体的な印象としては積読の定義をずらしているだけにしか思えず、タイトルが煽りすぎだと思った。根拠が乏しいまま結論だけが繰り返される。いろいろな書籍の紹介で肉付けしようとしているのだけど骨がないまま肉がつけられているのでつらい。

必要なところを取捨選択しながら読む速読の入門にお勧めできるくらいには無駄が多く、それが皮肉にも本書が勧める「積読」の一種にも繋がっているのだけはエスプリが効いている。これは純粋な皮肉です。

極めつけは、がんばって200ページ強読んだうえで「おわりに」に書かれていたことが最悪だった。「わたしは、『人間が積読をすること』が『完全な読書』をする方法であると主張したいわけではありません」というのが最後の最後に出てくるんだけど、じゃあ「積読こそが完全な読書術である」ってタイトルつけちゃダメだろ。嘘じゃん。ひさしぶりに得るものゼロの読書体験をした。