いまだ、おしまいの地

結局のところ、「みんなちがって、みんないい」ということを手を替え品を替え、いろんなメディアで言ってるだけじゃないか。最近のドラマやTwitterでバズったマンガなどを見ていると、そう悪態をつきたくもなる。食傷気味だ。少し前には「世界に一つだけの花」の歌詞をふと思い出し、あれってそういえば、なにか言ってるようでなにも言ってないなと思った。ナンバーワンにならなくてもいい、もともと特別なオンリーワン。そんなことはこの世に生まれてくる前からわかっていて、それでもナンバーワンを求められたり求めたくなったりするからしんどいんだ。わかりきったことを改めて言われても、なんの慰めにもならない。オンリーワン。だからなんなんだ。(当時そういう考え方が新鮮で、あの曲に救われた気持ちになったひとも多いのだろうとは思うけど)

こだまさんの『いまだ、おしまいの地』を読んだ。日常を、顕微鏡で観察しているかのような精度で捉え、さらっとした筆致で描く。こんな同期が、祖母が、詐欺師が、自分の周りにいるわけではないのに、なぜか知っているような気がしてくる。と同時に、俺はそんなにお賽銭を入れないし、俺はそういった相手にお金を振り込まないぞ、とも思う。こだまさんに対しては客観視できるのに、周りの人物に関しては「こんな感じのひとがいたかもしれない」という錯覚に陥る。

1作目の『夫のちんぽが入らない』から(もっというと、同人誌や、さらに遡ってブログのころから)、「これは自分の物語だ」と思わせるなにかが、こだまさんの文章にはある。自分の行動も感情も冷静に捉えて描かれているので、まったく押し付けがましくなく、さらっと入ってくる。読んでいるうちに、いつの間にか「俺だったらこんなことしねえよ」とか「いやいやいや、それは優しすぎるでしょ」とか突っ込んでいる。それは気づけば「自分だったらこうするかもな」に変わっている。読むRPGみたいな気分だ。読み終えた時には、自分のことが書かれた物語だったような気になっている。

こだまさんは、「みんなちがって、みんないい」みたいなことは言わない。以前は「こんなわたしでいいんでしょうか……」という感じだったけど、『いまだ、おしまいの地』では「こんなわたしでもまあいいか」というふうに変わっていて、読むうちにこちらも自分で自分のことを肯定できる気持ちになってくる。嫌な記憶の捉え方が少しだけ変わる。

正直に言えば、帯の後ろに書かれた「みんな、それで大丈夫だよ。」という言葉に少し違和感を覚えた。だけど、そんなことをこだまさんはストレートに言わないにしても、この本を読んだら、自分に対してそう言ってあげられる気にもなってくる。そう考えると、いいコピーだと思う。

このツイートを読んでいると、この本に収められている「メルヘンを追って」という話が5倍くらいおもしろくなるので、ぜひお試しください。

いまだ、おしまいの地

いまだ、おしまいの地