iPad mini(第5世代)を買った

iPad mini(第5世代)を買った。

いままでiPad mini 3を使ってて、挙動がかなりもっさりしてたのだけど、そのストレスが全くなくなった。電子書籍とかdマガジンとかさくさくめくれる。Twitterもするする動く。するする動きすぎてみんなのツイートあんまり読んでない。

Apple Pencil(第1世代)も使えるということだったので、Apple Pencilも買った。簡単な絵を描いたり簡単なレタッチができたりすると便利だなと思って、お絵かきアプリ(メディバンペイント)とPhotoshopのなんかを入れた。レタッチはまだ全然やってない(なるべくならやりたくない)けど、絵はちょこちょこ描いてる。ペンみたいなやつでそれっぽい線が描けるの本当にすごい。筆圧で太さが変わったりするのすごい。使いこなせる気がしないけど、使いこなせるように練習する。

Office365を年間契約しているので、WordとExcelのアプリも入れた。これはすぐ消した。iPad使ってまで仕事せんでいいやろ。

そしてこの文章。これはiMac (21.5-inch, Mid 2011)のテキストエディットで書いている。iPadで書くわけがない。

正しさについて

最近書き物のためにいくつかの本を並行して読んでる。

最初は政治についての本だったのだけど、それから選挙→多数決→正しさみたいな感じで転がっていった。ベストセラーの『FACTFULNESS』も電子書籍で読んだ。それらの本を読んでいるうちに、30数年生きてきて、初めて思い至ったことがある。

まず、自分には「自分は正しい選択をすることができる」という思い込みがある。これは、究極的には「自分は正しいと思っている」ということでもある。正しい選択をする前提として、「選択に必要な正しい知識や情報を持っている」ということが求められる。そもそも「自分は正しい選択をすることができる」という思い込みから危険なんだけど、その前提となる知識や情報もはたして正しいのだろうか? ということに、生まれて初めて思い至った。

これは結構どうしようもない感がある。そもそもから疑っていかんといかんのか。「米軍基地、最低でも県外に移設します」と言われても、それを鵜呑みにできないのはかなり難しい。「最低でも県外に移設します(できるとは言ってない)」の「(できるとは言ってない)」はなかなかわかりようがないんじゃないか。1+1ってほんとに2か? 虹って7色なのか?

そういうことを疑ってかかるときりがない。そもそも正しいかどうかわからない知識や情報をもとに、正しい選択なんてできるのか? ていうか正しい選択ってなんだ? 誰が正しいとか正しくないとか決めるんだ? それを決めてるやつは正しいのか? ていうか正しくあることがよいみたいな価値観どこから生まれた? 正しくなくちゃいかんのか?

このへんで行き詰まってきた。正しくないひとたちが集まって多数決して選挙で民意を問うたとか言われても、「そんな……」みたいな感じがする。政治について興味・関心を持つことは大事だし、自分の考えがあることはよいと思うけど、「安倍政権はクソ!」とか一言で言い切られるようなところに帰結すると、いろいろなことをすっとばしててかなり暴力的な感じがする。たぶん誠実なのは「これでいいのかどうかはわからんけど、自分は最善を尽くした。もっとよい選択肢も存在するのかもしれんが」みたいなスタンスで、常に考え続けることなんだろうと思う。「安倍政権はクソ!」の一言で解決する物事があると思えない。

「正しさ」を生きていく上でのなにかしらの基準に置くの、少しずつやめられればいいなあと思う。

FACTFULNESS(ファクトフルネス) 10の思い込みを乗り越え、データを基に世界を正しく見る習慣

FACTFULNESS(ファクトフルネス) 10の思い込みを乗り越え、データを基に世界を正しく見る習慣

 

書くことについて

みんな大好きスティーブン・キング(実は読んだことがない)が書いた『書くことについて』という、その名の通り文章の書き方についてまとめた本がある。小説家らしい文体で、意外と具体的なテクニックについて書いてある。

「副詞とか多用せんでよろしい」「受動態で書かんといかんのか」「無駄な装飾はやめろ」「ストレートに書け」「パラグラフを意識してリズムを作れ」などなど。英語圏のひとなので、文法の根本が違うところはありますが……。でも結局そういうことができるようになるにはトレーニングあるのみだというところに帰結する。そうですね。

この半年くらいで文章の技術が上がったのを自覚した。よーーくわかったのだけど、文章が上手になりたいなら、推敲をするのがいちばんの近道だ。痛感したのは、書き手の気持ちよさは読み手には関係ないということ。1回推敲するだけでも「書いたお前は気持ちいいかもしれんけど……」みたいな部分がわかってくる。そこをばっさり切って、文章を「読み手が気持ちいいように」並べ替えるだけで、かなり読みやすくなる。2回推敲すればもうちょいよくなる。ということで最近は「2回は推敲する」ということをルールにしている。

以下、個人的に身につけた文章を書く上でのコツです。

  • 文章は1文字でも少ない方がいい
  • 一文がやたら長いのが続く文章は最悪
  • 書き手の気持ちよさは読み手には関係ない
  • 話し言葉ではその語順だったかもしれんが、記事にするなら並べ換えた方が読みやすい、みたいな表現は多々ある
  • 文章の癖は個性じゃない、甘えんな
  • 癖をできるだけ排除しようとしても滲み出てくるものが個性
  • とにかく推敲しろ

つるんとした文章が書けるようになりたいと思ってきたけど、やっとできるようになってきた。自分の文章に個性があるのかわからん。別になくてもいい。個性をわかってもらおうとも思わん。自分をわかってほしくて書くわけでもないし。

そうしたら一気に文章を書く気力も失せてきて、技術と気持ちのバランスムズいっすねというところに来た。気持ちがなくても淡々と書けたいものですね……。

書くことについて (小学館文庫)

書くことについて (小学館文庫)

 

10年前の答え合わせ

10年前に自分に投資してたのの結果が今だと思うんだけど、結果としてはまあまあいい感じで回収できてるんじゃないかと思う。10年後はもっといい感じでやっていけてるのかなあ。投資は不可欠だけど、運もあるもんな。事故って死なないとか。

長く住む町

近所にあった店が次々となくなっていく。

最近よく行く居酒屋に、「しばらくお店を休みます」という張り紙があった。聞けば「店を手伝ってくれている親父が検査入院するから」だという。結局その店は3日くらい休んだだけで、営業を再開した。親父さんもなんの異常もなかったらしい。ただ、もし、と考える。もし、親父さんがなんらかの病気で長期入院を余儀なくされていたら、このお店もやがて人手不足で閉店したのだろうか。

うちのマンションの1階部分は、建築設計事務所や美容院、古本屋、ヨガ教室などが入っている。美容院は「サロン・ド・なんとか」みたいな名前で、名前のハードルが高すぎて逆に行ってみたくもある。古本屋は「古本屋」はあくまで表の顔で、常連は裏の勝手口から入るシステムになっており、裏にはエロ本がたくさんある(らしい)。妻と付き合い始めのころ、なにも知らずに入ったところ、「えっ、あのエロ本屋に行ったん?」と驚かれた。

1階の隅には、古くからやっているスナックなのかなんなのかわからないけどとにかく「常連しか入れないような雰囲気の、お酒が出る店」があった。いちげんさんが入るにはハードルが高すぎて一度も行っていないのだけど、この店は去年、いつの間にか営業を辞めていた。お店がなくなっていたこと自体、なかなか気づかなかった。

1階の中央、いちばん目立つところには、これまた古くからやっているらしい、魚を売りにした居酒屋があった。店主の親父が手書きしたメニューやらセールスコピーやらが店の内外に貼られていて、高校のころ街中で見かけて軽いトラウマになった自主制作映画『バリゾーゴン』の宣伝手法を彷彿とさせた。

「魚介スープの手作りラーメン」とか「見た目にこだわらない方、オススメですよ!」とかそんな内容のなぐり書きが店の入り口まわりに所狭しと貼ってあって、かえって逆効果だった。「金返せ!」とか「安倍は死ね!」とかが紛れてても全然気づかないくらい、「宣伝」とは真逆の雰囲気を持つ張り紙だった。

過去に一度、昼食がてらひとりで行ったことがあるのだけど、店主以外誰もいない店内で、店主にやたらと話しかけられて逃げ場もなく、つらかった。味はそこそこの魚介系ラーメンを、店主に延々話しかけられながら食べた。あまりいい印象がない。

夜の居酒屋としての評判はそこそこよかったみたいだけど、なにしろ昼にいい印象がなかったため、夜行く気になれなかった。「居酒屋としての評判はそこそこよかったみたい」というのもネットの口コミを見ただけで、ほんとかどうかあやしい。実際、客の気配をあまり感じなかった。それでもしぶとく営業を続けていたので、ここは客が来ても来なくてもお構いなしに存在し続けるんだろうなと思っていた。

そんな店も、先日閉店した。どうやら店主が突然他界したらしい。

 

この町はいわゆる住宅地で、小学校も公園もスーパーも病院もひととおりある。ペットの病院もまあまあある。そのうえ、安くておいしい居酒屋が多い。

この町はとにかく暮らしやすい。市街地まで出るのがそこそこ大変ではあるけど、それ以外はなんの不自由もない。好きな場所がたくさんできた。家も最高。妻もいて、ねこもいる。ここで「代わり映えのしない毎日」を過ごすことができたら、案外それってかなりしあわせなことなんじゃないかと思うけど、実際には代わり映えのしない毎日なんてない。あらゆるものが、等しく、終わりに向かう。好きになった店もひとも、いつかはいなくなる。別に好きじゃなかった店も、なくなってしまうと結構さびしい。

1階の居酒屋跡地は、張り紙はおろか、店の名前も消されてなくなってしまった。「ここはまあずっとあるだろう」と思っていたところが、突然あっさりとなくなってしまう。そういうことはよくある。これから先も、そういうことは尽きない。

好きな町に長く住むためには、いまある「当たり前」の尊さをきちんと認識する必要がある。好きな町にずっと住み続けるのって、それなりにシビアなことなのかもしれないな。

10万円得した

3月にiPad Proを買うつもりでいたのだけど、やめた。理由としては、要らないからだ。

なくてもやっていけている、ということは、なくてもよいということだ。いまあるものでなんとかできている。iPad Proを買ったところで、「生活のやっていき」が向上すると思えなかった。そもそもいま「生活のやっていき」に困ってない。

3月に10万が飛んでいかなくなったので、10万円得した気分になった。これはかなりいいライフハックなのではないか。「別に心の底からほしいというわけではない、まあまあ欲しいもの」を数か月先に買うぞ、と決めて、それをキャンセルするのは、友達との予定をドタキャンして家で引きこもってなんか動画を見たりする的な気持ちよさがあるのではないか。友達との予定をドタキャンして家で引きこもってなんか動画を見たりしたことがないのでわかりませんが……。

淡々

先日、誕生日を迎えた。いつものように朝公園を走り、シャワーを浴び、朝食を摂ってから少し仕事をして、昼食を摂らなかったので少し早めに餌のような夕食を作って食べて、風呂に入り、20時にはやることもなくなったので寝た。

翌日。何度か目が覚めたけど12時間布団にいることに成功し、8時に起床。いつものように朝公園を走り、シャワーを浴び、洗濯をして、朝食を摂ってから少し仕事をした。

「なるべく淡々とやっていくぞ」という思いがある。「成長を続ける」というシンプルな結論に至るのはいいのだけど、難しいのは、そのシンプルな結論をキープし続けることだ。これは結構な精神力を求められる。「姿勢よく座る」と思って背筋を伸ばしても、数分後には猫背になっている。姿勢よく座ること自体は難しくないのだけど、それをキープし続けるのはかなり難しい。そういうことができるようになりたい。一朝一夕でできることではない。そういうことができるようになりたい。

勝ち続ける

「勝ち続ける意志力 世界一プロ・ゲーマーの『仕事術』」を読んだ。みんな大好きウメハラが書いた新書。

「勝ち続ける」っていっても「試合に勝ち続ける」ってことじゃなくて、「絶えず成長を続ける」っていう意味ですよ、というのが1冊を通して書いてある。絶えず成長を続けた結果、試合で優勝できることもあるけど、それをいちばんの目標にしても仕方ない、という話。ウメハラが試合にこだわってないのは意外だった。

最近、読んだ本やここ数年頭の片すみで考えていたことがつながってくる感覚がある。結局「地道にコツコツやっていくしかない」「成長を意識するのは大事」みたいなシンプルな結論に至る。もっと若いときに気づいていれば……と思わなくもないけど、歳を取ったから受け入れられるようになっただけだ。過ぎ去った時間を悔やむよりも、「60歳で気づくよりマシ」と思うことにした。いまのうちからコツコツやっとけば、60くらいでどうにかなってるだろ。60でどうにかなっててもね……って感じもしなくはないけど、まあ80でどうにかなるよりはマシだろ……。

勝ち続ける意志力 (小学館101新書)

勝ち続ける意志力 (小学館101新書)

 

やっていけてない

今年は自分の生活にイニシアチブを取りたい、規則正しく生活していきたいと思っているけど、早速ダメ。規則が全く正しくない。規則正しくやっていくのが難しい仕事ではあるのだけど、仕事が忙しくない今ですらダメになってるので、忙しくなったらどうなるんだろう。

事務所を借りるのもいいかもしれない、と考えた。毎日そこに出勤して、そこでしかメールを見ない。仕事をしない。今はメールが来たらそのつど返してるので、仕事が早いとよく言われるのだけど、それが真綿で自分の首を絞めてるのではないかと思うようになって、やり方を見直している。解決策として、事務所を借りて、そこで仕事をするというのはどうだろう。結局、会社勤めがいちばん楽ではあるんだろうとしみじみ思う。自分で自分を律して毎日規則正しくなんてやっていけないよ。

事務所を借りるとしたら、どんなに安い物件でも月2〜3万はかかるし、下手したら交通費もかかるかもしれん。徒歩や自転車で行けるような場所に事務所を借りた場合、自分の性格上、雨の日は行かなさそうな気がする。そうなると、月に22日「出勤」するとして、5日くらいは雨で「出勤」できなくなる。その上、事務所に行けない現場仕事もあるので、と考えると、事務所に「出勤」できるのは月に10日くらいのような気がする。月10日のために2〜3万使うなら、今と同じようにファミレスとかで仕事した方が安上がりだな……。

自分で自分を律してやっていってるひと本当にすごいと思うけど、やっていけない我々もやっていけないなりに、傷を舐め合ったり、知見を広めあったりしたいもんですね。