長く住む町

近所にあった店が次々となくなっていく。

最近よく行く居酒屋に、「しばらくお店を休みます」という張り紙があった。聞けば「店を手伝ってくれている親父が検査入院するから」だという。結局その店は3日くらい休んだだけで、営業を再開した。親父さんもなんの異常もなかったらしい。ただ、もし、と考える。もし、親父さんがなんらかの病気で長期入院を余儀なくされていたら、このお店もやがて人手不足で閉店したのだろうか。

うちのマンションの1階部分は、建築設計事務所や美容院、古本屋、ヨガ教室などが入っている。美容院は「サロン・ド・なんとか」みたいな名前で、名前のハードルが高すぎて逆に行ってみたくもある。古本屋は「古本屋」はあくまで表の顔で、常連は裏の勝手口から入るシステムになっており、裏にはエロ本がたくさんある(らしい)。妻と付き合い始めのころ、なにも知らずに入ったところ、「えっ、あのエロ本屋に行ったん?」と驚かれた。

1階の隅には、古くからやっているスナックなのかなんなのかわからないけどとにかく「常連しか入れないような雰囲気の、お酒が出る店」があった。いちげんさんが入るにはハードルが高すぎて一度も行っていないのだけど、この店は去年、いつの間にか営業を辞めていた。お店がなくなっていたこと自体、なかなか気づかなかった。

1階の中央、いちばん目立つところには、これまた古くからやっているらしい、魚を売りにした居酒屋があった。店主の親父が手書きしたメニューやらセールスコピーやらが店の内外に貼られていて、高校のころ街中で見かけて軽いトラウマになった自主制作映画『バリゾーゴン』の宣伝手法を彷彿とさせた。

「魚介スープの手作りラーメン」とか「見た目にこだわらない方、オススメですよ!」とかそんな内容のなぐり書きが店の入り口まわりに所狭しと貼ってあって、かえって逆効果だった。「金返せ!」とか「安倍は死ね!」とかが紛れてても全然気づかないくらい、「宣伝」とは真逆の雰囲気を持つ張り紙だった。

過去に一度、昼食がてらひとりで行ったことがあるのだけど、店主以外誰もいない店内で、店主にやたらと話しかけられて逃げ場もなく、つらかった。味はそこそこの魚介系ラーメンを、店主に延々話しかけられながら食べた。あまりいい印象がない。

夜の居酒屋としての評判はそこそこよかったみたいだけど、なにしろ昼にいい印象がなかったため、夜行く気になれなかった。「居酒屋としての評判はそこそこよかったみたい」というのもネットの口コミを見ただけで、ほんとかどうかあやしい。実際、客の気配をあまり感じなかった。それでもしぶとく営業を続けていたので、ここは客が来ても来なくてもお構いなしに存在し続けるんだろうなと思っていた。

そんな店も、先日閉店した。どうやら店主が突然他界したらしい。

 

この町はいわゆる住宅地で、小学校も公園もスーパーも病院もひととおりある。ペットの病院もまあまあある。そのうえ、安くておいしい居酒屋が多い。

この町はとにかく暮らしやすい。市街地まで出るのがそこそこ大変ではあるけど、それ以外はなんの不自由もない。好きな場所がたくさんできた。家も最高。妻もいて、ねこもいる。ここで「代わり映えのしない毎日」を過ごすことができたら、案外それってかなりしあわせなことなんじゃないかと思うけど、実際には代わり映えのしない毎日なんてない。あらゆるものが、等しく、終わりに向かう。好きになった店もひとも、いつかはいなくなる。別に好きじゃなかった店も、なくなってしまうと結構さびしい。

1階の居酒屋跡地は、張り紙はおろか、店の名前も消されてなくなってしまった。「ここはまあずっとあるだろう」と思っていたところが、突然あっさりとなくなってしまう。そういうことはよくある。これから先も、そういうことは尽きない。

好きな町に長く住むためには、いまある「当たり前」の尊さをきちんと認識する必要がある。好きな町にずっと住み続けるのって、それなりにシビアなことなのかもしれないな。