クッキーシーンみたいに

「クリエイション・レコーズ物語」を読みながら、ある雑誌のことを思い出していた。大学のころたまたま出会った「クッキーシーン」という音楽雑誌で、安っぽい紙に印刷されており、マニアックな音楽情報でびっしりと埋め尽くされ、限られた紙面を少しも無駄にしないという決意めいたものが感じられた。まだまだ知名度の低いアーティストの曲が洋邦問わず15曲くらい収録されたCDがおまけで付いており(いずれもフルで聴けた!)、未知のアーティストを発見するたのしさがあった。「クリエイション・レコーズ物語」を読みながらクッキーシーンのことを思い出したのは、この本がペーパーバックなのに加えて、クッキーシーンの伊藤英嗣氏が翻訳を務めていたからだ。氏が書いたマイブラの「Loveless」のライナーノーツを読んで以来、「このひとが勧めるものはきっと間違いない」と思っている。

好きが凝縮されたものを読むのはたのしい。行間どころか文字と文字の間から「好き」は漏れる。情報が全くわからず、「好き」しか伝わってこなくてもたのしい。わからなくてもおもしろい。このひとがここまで言うのであれば今度買ってみようかな、という気持ちになってくる。クッキーシーンは「このアーティスト好き!」「聴いてみて! きっと気にいると思うから!」「これが知りたいから直接訊いてみた!」でいつも埋まっていた。

かねてからできるだけ熱を持ちたくないと思いながら生きてきて、おおむね平熱で生きていけるようになってきたけれど、いま作ってみたいと思うのは熱にまみれた読み物で、でもたぶんもう熱にうかされるくらい好きになれるものも出てこないだろうし(平熱でもなにかを愛することはじゅうぶんできる)、なんで熱を失うように生きてきたんだろうという反省が、今ごろになって大きくのしかかってきている。ないものねだりなのかもしれないけど。

クリエイション・レコーズ物語

ジザメリやライド、マイブラといったシューゲイザーバンドや、あのオアシスまで輩出した伝説的なインディーズレーベル「クリエイション・レコーズ」について、インタビューを中心にまとめた本。クリエイション同様、この本も一種の伝説的な存在になっている、と思う。2003年に発売されて現在は絶版なのだけど、近所のブックオフに売られているのを奇跡的に発見、その後パラパラと読んでいたけど積読になっていた。本は手に入れるまでがいちばんたのしい。

「他の追随を許さないくらいに音楽が好き」という音楽への情熱とドラッグの相性がめちゃくちゃよい。致死量のドラッグが伝説的なレーベルを生むのであれば、バンバン推奨してもいいのではという気にもなってくる。読み進めるごとにレーベルの熱狂っぷりが加速し、みんながどんどんドラッグに溺れていき、名盤が次々に生まれてくる。生まれて初めて「to here knows when」を聴いたとき、あの輪郭のない音の洪水に圧倒されて「なんなんだこれは……」と思うことしかできなかったのだけど、それを書籍にしたらこんな感じになるのではないかという、まさに読むシューゲイザーみたいな本だった。

クリエイション・レコーズ物語

クリエイション・レコーズ物語

 

<ポスト・トゥルース>アメリカの誕生

ウェブのWIRED20163月~12月に連載されていた、2016年のアメリカ大統領選挙をリアルタイムで追った記事をまとめたもの。「トランプが勝つ」という結果を知りながら読むとおもしろかった。去年の今ごろ、選挙や多数決に関する本を買いまくって読んでいたのだけど、これもそのうちの1冊。読みかけたまま放置してあり、内容がほとんど抜けていたので、読み返したいところを中心に読んだ。

今回の新型コロナとポスト・トゥルースという概念は非常に相性がよいと思っていて(だから読み返したのだけど)、2016年のアメリカ大統領選の過程とそのフィードバックから、今ものごとを考えるうえでのヒントみたいなものがなにかしら見えないものかと思ったのだけど、「やっぱ相性いいな」という確信を強めただけだった。「彼らを鼓舞するのは理性よりも感情であり、情動である」というポスト・トゥルースは、現状をなにかのせいにしたい国民感情と相性がいい。特に、仮想敵として政府は非常に都合がよい。

確かにコロナ対応として政府が進めているものに関しては全部が全部よいと思っていないし、安倍晋三というひとが首相としてよいのかというと、個人的にはそうも思っていないのだけど、だからといって「やることなすこと全てがダメ」とも思っていない。政府を仮想敵にしたいという思いが強すぎると、よい対応に目がいかず、悪いところばかり指摘したくなるのも無理はないのだけど、「事実」に対して批判がなされるといった理性は必要だと思う。「正しい情報(事実)+適切な(理性的な)感情処理」が行われるのが理想的だと思うのだけど、最近特に「『正しい』感情+適切な(恣意的な)情報処理」が行われているのを目にしているような気がする。

結局4年経ってもポスト・トゥルースの「次」にはまだ行けていなくて、案外(いかにもWIRED的で個人的にはあまり好きな論調ではないのだけど)テクノロジーの発展を待たないと、その次に行けないのかもしれないということを考えた。そんな状況で個人が打てる手としては、インターネットを「事実」の収集に活用するにとどめて、他人の感情や情動をできるだけ見ないようにするくらいしか思いつかない。

正しさ

「正しく怒るべき」という論調が結構まかり通ってきた感じがするけど、正しさを基準に据えるのはかなり危険な気がする。自分の怒りが正しいかどうかを誰がジャッジするのか。結局は恣意的な正しさでしかないのではないか。「私の怒りは正しいものなのです!」と言われても、やっぱり俺の眼の前で殴らんでくれよと思ってしまう。正しく怒るべきと言ってるひと怖い。自分は正しいという自信があるんだろうな、と思ってしまう。

多数決を疑う

多数決ははたして本当に民主的な決め方なのか、という話。

冒頭の5ページくらいであっさりと多数決の致命的な欠点が指摘され、その代替案として「ボルダルール」というものが紹介される。これは、例えば3人の候補者がいたとして、1位に3点、2位に2点、3位に1点というように等差のポイントを付けて加点するというもの。ボルダルール以外にもいろいろな集約ルールが紹介されるが、最終的にやっぱボルダルール強いねという結論。

集約ルールの話に終始せず、前提として「自分のことは自分で決められるはずだ、というのは単なる希望の発露ではないか」「正しい判断は可能なのか」という、「選択」という行為への問いから出発しているのが面白かった。いまみんな好き勝手言ってる状況で、意見の集約ルールがそもそもあってないような感じなので、それに触れすぎるとげんなりするだけで終わりそう。結局、署名のようなわかりやすい集約が強く作用した事例もあるので、集約ルールの整備(整理)から始めるのが、事態を動かすにはよさそうな気がする。とすると、官邸にメッセージとか送るの、焼け石に水ということでもあるのか。個は弱い。

 

積読未満日記

まだ積読にも至れていない本がいくつか出てきた。お金や手間が理由で買っていないのではなくて、このご時世、Amazonがいま日用品の確保・配送に注力しているというのを知って、書店にない本を頼むのがためらわれるからだ。ということで、まだ積読にも至っていない本を記録してみる。

契れないひと(2)

契れないひと(2) (ヤンマガKCスペシャル)

契れないひと(2) (ヤンマガKCスペシャル)

 

たかさんのマンガもめでたく2巻が発売された。うれしい。先日近所の(といっても徒歩15分くらいのところにある)書店に行ったところ、2巻が入荷されていないどころか、1巻も置いてなかった。この書店、『夫のちんぽが入らない』のマンガも高野雀さんのマンガも最新刊(nとする)は置いておらず、常にn-1巻までしか揃えないことに定評がある。たかさんのマンガに至っては、今のところn-2n2以下の自然数)となっている。『契れないひと』っていうタイトルのマンガではあるけど、そこは契ろうよ。あと、最新刊の手前まで入荷するなら、最新刊も入れようよ。

雑な生活 

雑な生活 (ビームコミックス)

雑な生活 (ビームコミックス)

  • 作者:中 憲人
  • 発売日: 2020/04/11
  • メディア: コミック
 

九州は「今日発売です」と言われた日に書店に本が並ぶことはほとんどない。ちょうど書店に行った日が『雑な生活』の発売日ごろだったのだけど、書店に行くには少し早すぎた。まあ、近所の書店はいつまで経っても入荷しなかったかもしれないけれども。TwitterTL上でとても評判がいいので、早く読みたい。

コロナの時代の僕ら

コロナの時代の僕ら

コロナの時代の僕ら

 

無料公開されていたタイミングで読めなかったので、買って読みたい。これは現時点でまだ出版されていないので、積読したくても積むことすらできない。

兄の終い 

兄の終い

兄の終い

  • 作者:村井 理子
  • 発売日: 2020/03/31
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

これもTwitterで非常に評判がいい。一気に読んでしまうひと多数。読みたいけれども、なんだか常にうっすらと気が立っているような状態で、読んでいいものなのかどうか迷う。読むのに心の準備ができていない気がする。

みんなにお金を配ったらー―ベーシックインカムは世界でどう議論されているか?

他の本に比べると高く、あと内容が難しそうな上に長そうな気がするので、普通に買うのに抵抗がある。

出版に携わっている方から、版元によっては4月刊の本の部数をしぼっているので、作家がつらい思いをしているかもしれないという話を聞いた。なるほど、僕がAmazonででも買うのをためらっている陰で、作家の方々はその影響を直接受けているかもしれないのだ。そういった事情を知ると、やはり早めに買うべきだなと思った。ちなみにその方は、Amazonやヤマトの方には申し訳ないけど全員の味方にはなれないんだから、それだったら自分は作家の味方でいたいと思って本を注文している、とのことだった。すてきな覚悟だと思う。と同時に、普段そこまで意識しなかったけど、運輸業に携わる方々にももっと敬意を払わないといけないなと思った。いつもありがとうございます。置き配で少しでも負担が減らせているといいのですが……

ちなみにAmazonで本を買うのためらってしまうとTwitterに書いたところ、これまた本屋を営む方からhontoe-honなどのほかのオンライン書店を使うことを勧められ、なるほどそういうソリューションがあるのかと思いました。知恵だ。

パーティー

高野雀さんの『After the Party』を読んだ。

ものすごいものを読んでしまった。内容としては、199510月、まだ阪神淡路大震災の爪痕が残る神戸に、ふたりの女子がクラブに遊びに行くという話。20ページとは思えない濃密さで、それはおそらく全ページに入っている注釈のせいでもあるのだろうけど、いまのこの時期に読むと、作品全体が心の奥底にめちゃくちゃ響いてくる。

ここをお読みのみなさまにはぜひこの作品自体をご購入いただき、こんな僕の駄文なんか読まずに、まず作品に触れてほしいと思う。なので以下は実際に『After the Party』を読んだ方と、作者の高野さんだけが読んでくれるとうれしいなと思いながら書きます。

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拳で語り合っている

最近、Nintendo Switchを買って割とすぐにダウンロードしたストリートファイターのコレクションみたいなやつをやっている。ストリートファイターと名のつく格闘ゲームが12本ほど入っていて、僕は特にスト3をやることが多い。ちょっと前まで格闘ゲームをやる根気すらなかったのだけど、暇だから技の練習をしてみようかなくらいの感じで、10分ほどやってやめるということを1日3回程度やっている。

オンラインでも対戦ができるのだけど、こちらと相手の回線の都合によっては、非常にカクカクとした戦いになってしまう。買ってすぐにおこなったオンライン対戦がいずれもカクカクとしていて、こりゃゲームどころじゃないなと思って敬遠していた。それが最近、回線の相性がよいのか環境がアップデートされたのかわからないけれども、2分の1くらいの確率でスムーズに対戦することができるようになり、たまにオンラインで世界のどこにいるのかわからない相手と拳を交えたりしている。

とはいえ、2020年の3月に、ストリートファイターコレクションの、それもスト3を、オンライン対戦しようとしている人間なんて世界に4人くらいしかいないらしく、対戦で当たるひとが非常に限られている。僕は「r」という名前の日本在住なのか外国在住なのかもわからないひとと対戦することが多く、rさんは本命はケン使いなのだけど、最近の僕たちの対戦は「本命のキャラクター使うのもなんか恥ずいよね」みたいな域に入ってきた。rさんにケンを使われると僕は誰を選んでもほとんど勝つことができない。rさんもそういう、絶対に勝つような試合がおもしろくなくなってきたのだろう。

rさんは最近Qというキャラクターを練習しているらしく、Qになら勝てることがある。rさんがQを選んだときは、僕もそこに本命のキャラクターをぶつけるのは大人気ないなと思い、ユリアンという使い慣れてないキャラクターを選ぶことにしている。

このゲームは仕様として連続で3試合までしかできず、3試合終わると、またマッチングしない限りは同じひとと対戦できない。非常に過疎化が進行しているゲームなので、もう1回マッチングしようとしたら大抵すぐにrさんに当たる。6試合くらいやるともう僕のゲーム欲も満たされているので、電源を切ってやめる。

みたいな生活を最近ずっと続けているかのように書いたけれども、僕とrさんの仲はまだ3日目くらいだ。このゲームではプレイヤー同士の交流を図ったりすることはできないので、拳で語り合う必要がある。僕たちは拳とか脚とか波動という謎の概念の塊とかで、この3日くらい語り合ってきた。向こうも「おっ、お前か」くらいには思ってくれてるんじゃないかと思う。

最近コロナとかなんとかで連日強い概念にさらされており、心が結構すり減ってきたのがわかる。回復する手立てももはやなく、ましてやそれがスト3ごときで癒されることもないのだけど、それでもこの超過疎化したゲームで世界のどこかにいる4人くらいとたまに対戦して、特にrさんという拳で語り合える存在ができたのは、ほんの少しの慰めにはなっている気がする。たぶん2か月後くらいには忘れてそうだけどあんま忘れたくないな、折にふれて思い出したいなと思って、こうやって書き留めている。

オンライン飲み会

先日、人生初のオンライン飲み会をした。知見が得られたのでシェアします。

<ツール>

  • Zoomに対抗してGoogleHangouts Meetが無料で使えるようになったとのことで試してみたけど、G Suiteに登録、承認(これがかなり手間)を経てようやく使えるようになり、しかも使ってみたら画面が頻繁に話者に切り替わる仕様のため、「うーん」となった
  • Zoomが使われているの、使いやすいからだということがよくわかった、Zoomを使いましょう

<メリット>

  • 比較的実施日時の調整が容易
  • 好きなメンバーだけで実施できる
  • 終電を気にしなくていい(デメリットもあり)
  • お金を気にしなくていい(デメリットもあり)

<デメリット>

  • 特に同居人がいる場合、どこでやるか問題がある
  • はじめましてくらいの関係性だと、最初の1時間何を話すのか問題がある(酔えばどうでもよくなってくる)
  • 時間の制限がないため、やろうと思えば永遠に飲むことが可能
  • 酒があるだけ飲めるので、飲みすぎることが可能
  • 上記ふたつの実績を解除した際、記憶が残らず、二日酔いになる

箇条書きするとデメリットの方が数は多いけれども、メリットの4つはいずれもひとつひとつの要素から得られるものが大きく、普段の飲み会がいかに制約を受けていたのか気付かされる。制約から解放された飲み会は、しかしながらタガを外すことも容易になるため、翌日に後悔する類の飲み方をしてしまいがちになることがわかった。後半の記憶がない。前半~中盤ももはや断片的な記憶しかない。

たまに、オンライン飲み会をやってみた的な記事(たいていは何かのPRにつながる記事)を見かけるが、ああいった「アウトプットすることが決まっている飲み会」くらいの方がいいのかもしれない。そうじゃないと理性が簡単にどこかに行ってしまう。

あと、これは個人的なやつかもしれないけれども、「飲みながら話すのはいいけど、画面の向こうでいろいろ食べるのはしたないのでは」という気持ちがあり、食べるのをかなり抑えたところ、アルコールが非常に残ったという結果になってしまい、もっとガツガツいく必要があるなと思った。「餃子焼きます、見ててください」というところくらいから始めるとよいのではないか。

lost in translation

「雨の日だより」で映画『ロスト・イン・トランスレーション』を扱って以来、「lost in translation」という言葉が時おり頭をよぎるようになった。翻訳する際に、微妙なニュアンスが損なわれてしまうといった意味。これは翻訳に限らず、言語を用いるいたるところで起こっているのではないか。

今日昼間に虹を見たんだけどものすごくきれいだったよ、と言っても、どのようにきれいだったのか伝わらない。同じものを見てもきれいと思うかどうかはひとそれぞれ。結局、言語を使って全員が同じ世界、同じ風景を見ることは不可能で、いろいろなニュアンスを取りこぼしながらやりとりをするしかない。

いわゆる「作品」を作っているひとに説明を求めたときに、「言葉で言えるくらいなら作品を作ってないと思う」と返される、ということは多々ある。そう言ってしまう気持ちはわかる。その意見も確かに正しい。でもそれと同時に、自分の作品について説明できないのはどうなのか、とも思うようになった。「こういうことを考えながら作った」とか「こういう出来事が作品づくりの発端となった」とか、そのくらいは言えるはずで、それさえも放棄してしまうのはどうなのか。lostするのが怖いからtranslationをしませんと言っているように感じる。

lost in translationであることを受け入れながら、それでも自分の言葉を尽くしてやっていくしかないんじゃないか。作品をつくったんでそれ見てくださいって、その作品がそこまで万能か? とまで言うとただの悪口だけど。作品をつくった後で、それでも言葉を尽くすことの方が尊いんじゃないか?

最近、作品を発表したあとでそれを何度も宣伝するひとの見方が変わってきた。たくさん売れてお金がたくさんほしいというよりも、純粋にまず作品に触れてほしいと思ってることがわかってきたからだ。結局それが「売れてほしい」ということにもつながるんだけど。軽い気持ちかどうかくらい、宣伝の仕方ですぐにわかる。軽い気持ちじゃないことくらい、作品に触れればわかる。受け手の翻訳の仕方に多少のニュアンスの取りこぼしがあろうと、ほんとうに大事なことはちゃんと伝わる。いいものを作って、それをさらに言葉で届けようとしているひとは、lost in translation程度のことになんかビビってない。その態度を信じる。

ロスト・イン・トランスレーション [DVD]

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  • 出版社/メーカー: 東北新社
  • 発売日: 2004/12/03
  • メディア: DVD